こんにちは(^^)
サンガーデン
太陽の庭人 田中です。
今日は思い出話し
私は造園屋の長男として生まれました。
父は若くして創業し
若い造園屋さんに仕事が頻繁に
依頼もくるわけもなく・・・
生活は貧しかったようです。
でも
子供の頃から父の仕事を見て育ち
僕もいつかは造園屋さんになる
そう決めて
18歳で京都の造園会社に弟子入り
そのときのはっぴを
母親が大切にしてくれています。
造園屋
私が修行時代着ていたはっぴ
母親が業者さんに頼んで額にまで入れて飾ってくれています。
母も父の仕事の手伝いをしていました。
現場での重労働に夏の厳しい暑さ、冬の寒さなどなど
現場から帰ると夜ご飯の支度、洗濯に掃除
ずっと働きぱなしだったように思います。
創業間もない父を陰ながら支えていたのだと・・・・
母親が業者さんに頼んで額にまで入れて飾ってくれています。
母も父の仕事の手伝いをしていました。
現場での重労働に夏の厳しい暑さ、冬の寒さなどなど
現場から帰ると夜ご飯の支度、洗濯に掃除
ずっと働きぱなしだったように思います。
創業間もない父を陰ながら支えていたのだと・・・・
私は小さいころから父の仕事をよく手伝ってました。
それは休憩の時間にジュースやおかし♪
本当はそれがお目当てでした(笑)
小学校の文集では将来なりたい職業
友達はパイロットやお医者さん学校の先生とか模範解答!
わたしだけ 植木屋さん だったのでした(笑)
文集を見た母は少しがっかりした様子?
現場の辛さや収入の不安定さなどなど息子には安定した職業
が希望みたいでした(笑)
父は何も言いませんでしたが・・・嬉しそうでした。
私が京都に修行に行くと言った時
母は応援してくれました。
それは休憩の時間にジュースやおかし♪
本当はそれがお目当てでした(笑)
小学校の文集では将来なりたい職業
友達はパイロットやお医者さん学校の先生とか模範解答!
わたしだけ 植木屋さん だったのでした(笑)
文集を見た母は少しがっかりした様子?
現場の辛さや収入の不安定さなどなど息子には安定した職業
が希望みたいでした(笑)
父は何も言いませんでしたが・・・嬉しそうでした。
私が京都に修行に行くと言った時
母は応援してくれました。
父の跡を継いで今年で20年
最初は意見がぶつかり
いっぱいケンカもしました。
それもそのはず、庭に対する情熱だけは人一倍熱い!!
昔の考えと今の考え
あれから20年
それでも庭に対する情熱は募るばかり
気がつけばそんな志を持った
仲間がひとり
またまたひとり
いっぱい失敗もしたけれど・・・
みんなが支えてくれました。
私は造園屋の二代目
創業間もないころの父の庭に対する情熱も引き継ぎ
永代続く造園会社にして行きたいです。
そんな私たちの庭づくり
最初は意見がぶつかり
いっぱいケンカもしました。
それもそのはず、庭に対する情熱だけは人一倍熱い!!
昔の考えと今の考え
あれから20年
それでも庭に対する情熱は募るばかり
気がつけばそんな志を持った
仲間がひとり
またまたひとり
いっぱい失敗もしたけれど・・・
みんなが支えてくれました。
私は造園屋の二代目
創業間もないころの父の庭に対する情熱も引き継ぎ
永代続く造園会社にして行きたいです。
そんな私たちの庭づくり